村社 八幡神社(福岡)
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概 要
社 号 八幡神社
読み はちまんじんじゃ
所在地 美方郡香美町村岡区福岡216-1
御祭神 主祭神
配祀神
御神紋
例祭日 9月敬老の日の前日
社格等
近代社格制度 旧村社
創建 延長8年(930) (天御影神社だとすれば天長5年(829))
本殿様式 桁行三間、梁間三間、入母屋造、向拝一間、正面千鳥破風、軒唐破風付、銅板葺 19世紀前期(神社誌)
境内摂末社(祭神)
文化財
八幡山古墳群 県重要文化財
6号墳からは鏡1、環頭太刀1、勾玉・管玉1連、小玉2連、須恵器壺1、須恵器高杯2、須恵器蓋杯3、須恵器坩1、須恵器提瓶1、須恵器皮袋形土器1、土師器耳状把手付高坏1、土師器高坏1が発見されています。これらの遺物からほぼ6世紀代の古墳とみられますが、中には5世紀にさかのぼる古墳もあります。
一口メモ
ナビで北側の石段から登る。
何も知らずに参拝した8月27日は、ちょうど八幡山芸術祭が神社のある八幡山公園で開催される日だったようで、コンサートやバザーの準備で作業用の車がたくさん停まっていた。あとで駐車場ありとあるのを知って帰路さがしたが見当たらなかった。南側から車で上まで登れるのか。。。
歴史・由緒等
延長8年(930)8月黒田大連宿祢報賽のため石清水八幡宮の分霊を勧請すと伝え、その後建久元年(1190)7月西石見守社殿を再建修造す。
文禄2年(1593)代官齋村左兵氏子を督して社殿の大修復を行い、元禄元年(1688)領主山名豊政又再建し、天明6年(1786)山名中務大輔氏子に命じて社殿を再建す。
斯く領主山名累代当社を崇敬し居城鎮護として参勤交代或は領内事あるに当たりては必ず参拝献饌するを例とす。
文化5年(1808)社殿を新立し当時社領20石を有したり。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。「兵庫県神社庁」
人皇25代武烈天皇4年(502)夏6月 孝霊天皇の皇子彦狭島命の末裔、宇自可臣幸世を以て、七美郡司となす。幸世は宇自可郷を開く。いま兎塚郷(のち兎束郷と書す)これなり。
『国司文書・但馬故事記』
『国司文書・但馬故事記』では、七美郡の始まりとして、出雲から素盞鳴尊の子大歳神が井久比宮(新温泉町居組)に坐して布多県国(のち二方国)を開き、弟の蒼稲魂命に命じて
伊曾布魂は倭文宮に坐し、牛知御魂神は牛知宮に坐すなり。
(中略)
人皇17代仁徳天皇10年7月 多遅摩国伊曾布県を改め、志都美郡と為し、多他毘古命の子、志都美毘古命を以て、志都美郡司と為す。志都美毘古命は府を板石野原(いまの板仕野)に置く。(このときに郡の府は射添郷から兎塚郷へ遷った)
15年4月 志都美毘古命は多他毘古命を小代丘に祀り、多他神社と申しまつる。(式内多他神社 美方郡香美町小代区忠宮)
(中略)
人皇25代武烈天皇4年(502)夏6月 孝霊天皇の皇子彦狭島命の末裔、宇自可臣幸世を以て、七美郡司となす。幸世は宇自可郷を開く。いま兎塚郷(のち兎束郷と書す)これなり。
(中略)
人皇37代孝徳天皇大化3年(647)秋7月 孝昭天皇の皇子、天帯彦国押人命の末裔、小黒冠岡首黒野麿を以て、七美郡司と為す。岡首黒野麿はその祖天帯彦国押人命を七美村に祀り、黒野神社と称えまつる(式内黒野神社 美方郡香美町村岡区村岡)
とあり、人皇17代仁徳天皇から人皇37代孝徳天皇大化3年(647)まで、郡府は兎塚に置かれた。兎塚丘として、福岡の神社はここしかないし、丘であるからここだと思う。境内には八幡山古墳群があり、古墳は羨道部をもった横穴式石室の円墳で、5~6世紀のものと推定されている。
『国司文書・但馬故事記』に人皇25代武烈天皇4年の次は、「人皇31代敏達天皇3年(574)秋7月 宇自可臣幸世の子狭立を以て七美郡司と為す。狭立はその祖彦狭知命を兎塚丘に祀り、高阪神社と申しまつる」とあり、宇自可臣幸世をどこに祀られたかについて、6代の天皇の期間が記載がないので確証はないが、古墳の推定年代が合致するので、宇自可臣幸世とその親族の墓と神社の可能性が高い。兎塚丘は村名ではなく郷名としての兎塚丘だとしたら高阪神社周辺かも知れないので、当社だという。
社伝によれば、石清水八幡宮の分霊を勧請としたとあるが、八幡神社とあるなら、石清水八幡宮は、八幡大神(応神天皇、比咩大神(ひめおおかみ)[・多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)・市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)・多岐津比賣命(たぎつひめのみこと)]・神功皇后ではなくて、なぜ主祭神が八幡大神には含まれていない玉依姫命なのだろう。
境内・社叢
社叢 鳥居・社号標
八幡山公園 反対側から登る
狛犬
割拝殿 本殿
左境内社 右境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
国道9号線「道の駅ハチ北」から西へ2分
駐車場 あり(10台)大型バス不可
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